プラチナの歴史について

プラチナは20億年前に隕石として地球に落ちてきたものの中に含まれていたと言われています。

 

現在プラチナの主な産出国は南アフリカで、全世界の産出量の約75%を占めています。

 

そういった事から示されるように、プラチナを含んだ隕石は南アフリカ付近に落下したものと思われているのです。

 

その他のプラチナの産出国はロシアで、産出量に占める割合は約16%です。

 

よってこの二国でプラチナの産出量90%を占めていることになります。

 

隕石として地球上に誕生したプラチナですが、その後、その存在が消えたり注目されたりと様々な遍歴を持っています。

 

紀元前1200年から紀元前100年までは古代エジプトや古代南米で、金の宝飾品と共にプラチナも使っていた痕跡を残しています。

 

「テーベの小箱」と呼ばれる最古のプラチナ製品がパリのルーブル美術館に展示されています。

 

1700年に入ると、ヨーロッパではプラチナを錬金術師達の手によって金の様に加工し宝飾品として盛んに利用していました。

 

鉛にプラチナを混ぜるとまるで金の姿の様になるからです。

 

まだプラチナ自体の価値が確立されていなく、あくまで金の代償としての利用価値でした。

 

そして1751年にスウェーデンの科学者によってプラチナは貴金属としてやっと認められたのです。

 

プラチナそのものが高級貴金属として認められるようになったのはフランスやスペインの王が「プラチナは王にのみふさわしい貴金属である」絶賛したためです。

 

1800年代に入ると、プラチナにおいて大変重要な化学上の発見が相次ぎプラチナは大きく成長しました。

 

偶然起きた爆発事故で、プラチナがどのような状態でも他の物質と反応する事なく物質と物質を結ぶ触媒であるという働きがあることに気付いたからなのです。

 

この発見によりプラチナは工業用品として目覚しい発展を遂げました。

 

プラチナの使途として65%が工業用、残りの35%が宝飾用となっています。

 

そして日本は全世界のプラチナの40%を使用しているプラチナ大国の一つなのです。

 

現在は宝飾品としての価値を確立したプラチナですが、広く世界に認められるようになったのは1900年代に宝石商のカルティエがジュエリーとしてプラチナを大々的に発表した事によります。